きむちんからのお手紙 − 2018年1月号 −
新しい年の幕が上がりました!
皆さま、よいお正月を迎えられたことと存じ申し上げます。
“チームがんこ(社内では開発・製造・検査部門をそう呼んで三位一体一丸となって生産に取り組んでいます)”におきましては、ここ数年封印しておりましたオリジナル品を次々と発表させていただこうかと準備を粛々と進めております。
春以降のご案内となりますが、昨年に続き、何卒倍旧の御高配をお願い申し上げますm(_ _)m
さて年頭にあたり、本年の抱負を述べさせていただきます。
今年のがんこ本舗は…
縁起の良くなる事・物・言葉・小さい福を沢山集めてニマニマしますヽ(´▽`)/
これぞまさに”福拾い”
今まで生かされてただけで、そりゃもう偶然や奇跡のオンパレード!幸運独り占めのようなもん!!!
結局のところ、生きてこれただけでも、健康含め日々小さな福の積み重ねがあったからとも申せます。
虫のよい話など、どう考えても嘘っぽいじゃあ有りませんか?
世の中、変に誰かの口車に乗せられて、投資だけで「儚い[はかない]夢」に終わる事例には事欠きません。
人+夢で[はかない]とは、これ辛いことですねぇ。
そもそも漢字の成立ちから紐解くと、夢そのものが…夕日が落ちて辺りもぼんやり暗くなり心許なく先が見えない有様 のようですから、現代の夢の解釈とはほど遠い感じで、どちらかと言えば「現[うつつ]を抜かして何を言ってんだ!」
なんて言う意味合いが強かったのでしょう。
すぐさま手が出せないような現実離れしたことばかり思考して、実行力の乏しいひとに向けられた言葉だったのかなぁ?
夢のように大きな福ばかり探して、足下の小さな福に感謝しないで見過ごしていると、小さな縁起ものまでザルの網目からこぼれるように逃げて行ってしまうでしょ!
“屋根があるだけで、雨も日射しも防いでいただける”
“壁があるだけで、大風も寒さも防いでいただける”
“窓があるだけで、周囲の様子も分かれば、明かりも分けていただける”
“目には見えなくても空気があるから息が吸える”
“水があるから喉を潤すことも出来るし、作物も育つ”
まぁ感謝に値する縁起の良い事・物・言葉を探すに欠かない毎日ですよ。
拾い集めてデッカイ福に致しましょうヽ(´▽`)/
福はうち、鬼はそと。
節分も間近です♪ニマニマ♬
がんこ本舗 代表きむちん SUN 20/01/2018